タカシマファーム通信 No,35
年度が改まりあちこちに「新人」が見られる頃になりました。
希望の高校、大学に入って喜びの顔がいっぱいですが、それに反して戦後最悪の不景気を反映して就職組の厳しさはたいへんな状況になっているようです。
わたしが大学を卒業した時も(20年以上も昔)やはりオイルショック後の景気の良くない時代でしたが、それでも今ほどひどくはなかったようには思います。
自分のことを思い起こしてみれば、俺には帰って働く家がある………なんていうような気分で同級生が四苦八苦していた時に妙に気楽な思いでいたことも覚えていますが~本当に大した意味もなく~後継ぎということにさほどこだわることもなくここ北広島に帰ってきたなぁと思っています。
外に選択肢がなかったわけではありませんが、農業系の大学を選択した時点で漠然と将来の方向が定まっていたとも言えるかも知れません。
今でもそうですが、何かけっこう大事なことを決めるのにそれほど真剣に考えたり、悩んだりする方ではないようで、なんだかいいかげんなところが多いみたいです。
しかしそんな中で今でも一番心に残っているのは父の言葉です。
「農業なんて本当に下積みの大変な仕事だ。汗をかききつい仕事の割には所得も少ないし世間の評価も低い。だから俺は決してお前に後を継げとは言わない…………だけれども農業にもいいところはある。他人に使われるでなく責任の持てる範囲で自由に働ける。だからお前が好きで農家をするというのならやればいい。」ということだったのですが、今にして思えばその言葉で決して望まれたわけでもないのに、借金もほどほどあり経営も楽ではない、時の高嶋農場に就職することになってしまった?。
父は無理強いすることが決していい結果に結びつかないことを承知していたのだろうと思いますし、自分の自由意志で始めたことであれば多少の困難があろうと乗り越えて行かれるとの期待もあったかも知れません。
就農してからの6、7年まさにその読みどおり歩けなくなるほどの腰痛に苦しんだり、農地を買って規模拡大したあとの4年連続の冷水害のダメージで徹底的に打ちのめされ、離農の危機に至った時もあったがなんとかしのいで来れました。
人が困難に直面したとき「前」を向いていられるかどうかは「気」が萎えることなく持ち続けられるかということにかかっていると思います。
そしてその「気」を維持し活性化させていく「元」はやはり妻や父や母、そして子供たちからなる家族の支えと理解だと思います。
また偉そうなことを書いてしまいましたが、たぶんこれを妻が読めばこう反論が返ってくるでしょう…………「何言ってるのさ、支えろ、理解しろ、冗談じゃないわよ。あなたがいったいどれだけ私や子供達を大切にしてくれたの?私が風邪をひいたって茶碗ひとつ洗ってくれないじゃない。子供のおむつ何回替えてくれた。参観日だってどれだけいってくれたの………………」
ドヒャー!恐らく数ページあっても書ききれないほどの不満が噴出するのはまちがいがありません。
また春がきてそうした家族のどろどろした部分を忘れさせるように、ぎすぎすした部分を消し去るように、目がまわるような忙しさがやってきます。………種を蒔き、実りの秋が終わるまで………。
投稿者:taka-farm