コメッセージ 181号 2011年 06月号
と思わず田植機を操作している息子、良平に怒鳴ってしまった。
「何、言ってんだよ。こうして植えれと言ったのは父さんじゃないか」...と息子。
「違う、違う、違う....俺はこんな風にやれとは言ってないぞ」....と私。
「さっきはそう言ったじゃないか....冗談じゃないや、もうやってられない。俺はもう田植機乗らないぞ」と息子。
田植えの最中、とうとう畦道で親子のけんかが始まってしまいました。
売り言葉に買い言葉でかなり険悪な雰囲気になって、まだ田植え2日目なだけに先が思いやられます。
今年4月から、いよいよ息子の良平が大学を卒業し米作り6代目として、当ファームの後継者として働いておりますが、古今東西、親子の確執は世の習いとは良く言ったもので、やはり私どものところでも、仕事の進め方についてはお互いに譲らず、衝突することが何回かありました。
が、この田植えの最中のケンカは両者、半ば切れた状態で"短腹"ぶりをさらけ出してしまい、アルバイトで来ている他人の方にもバッチリ見られてしまいましたし、あまり格好の良いものではありません。
とりあえず家内の仲裁もあってグッとこらえてこの場を納めたのですが、あとで反省することしきり。
よくよく考えるに、息子はまだ学生だった昨年から田植機に乗ってはいますが、実質はまだ一年生でそんなにそんなに一つ言って五や十わかるはずがないのであって、ここで怒ってしまっては親としての、あるいは先輩農業者、師匠?としての資質が問われるのはまさにこちらの方なんだと....。
ところで今年は田植え前の畦道を歩いていると、ずいぶんとカエルの卵が産み付けられているのを見かけます。
しかしそれがある法則にのっとっていることにふと気が付きました。
すなわち西に向かって歩くと畦の右手の水の中にあるのです。
ということはこの時期、冷たく強い南風が吹く日が多いことをカエルが知っていて、ちょうど畦の土手に風がさえぎられて幾分かでも穏やかで暖かいということをカエルは理解している?からなのか......。
まぁ不思議な野生の本能とでも言うべきか、おそらくそんなこと誰からも教わることなく生きるため、子孫を残すためカエルはそうしているとは思うのだけれども、カエルのみならず自然界では人間や完全ペット化された動物、とことん品種改良された植物などを除いて全ての動植物は自らの生き残る智慧をいかんなく発揮させて、実にスマートに無駄のない、さらに言うならばウソ、偽りのない生き方をしている。
ひるがえって人間界をみると現代は"科学"になりきれていない"技術"のレベルで自然界をコントロール、利用しつつ豊かさを手に入れ、それに金(マネー)がからみ、政治がからみ、制度がくっついて、いつのまにか何が本質で、何が本物で、何が実際で........ 最後に何が"豊かさ"なのかわからなくなってしまった......とも見えてきます。
一番身近な家族の、しかもほぼ毎日顔を合わせて同じ農場で一緒に働く跡継ぎたらんとする息子でさえ、冒頭のようになかなか意思が伝わらず誤解や不平不満が出てくるわけで、地域、市や国、世界が相手となるともう押して知るべしでしょう。
決して押しつけず、ウソをつかず、奢らず、与えられた責任を放棄せず、いたずらに助けを乞うことなく、自分を見失うことなく一歩引きつつも前を向いて歩く....というのが今の私の生きていく上での指針といえばそうなのかも知れませんが、日本の"偉い"方々にはもう少し私みたいな者の感覚に届くような姿であって欲しいと思います。
投稿者:taka-farm