コメッセージ265号 2018年6月号
今日はまた“モリカケ”の話が出ているかなと5月29日の道新のページをパラパラめくっていると、第3面の左上に囲い記事で「赤毛継ぐ人々」というコラムがありました。
赤毛を作付けしている私にとってはまさに当事者でもあるわけで、おっ!ていう感じで読み進めていくと現在の北海道稲作発展の原点ともいえる赤毛米の復活がゆかりのあるここ北広島でなされてきた経緯が書かれ、これまで携わってきた農家の方々の思い入れが書かれています。翌日には赤毛を町興しの素材としてどのように活かしていくかの取り組みが紹介されていますが、仕掛け人のH氏とともに私もその中に載せていただきました。
1983年頃、北広島の開基100年に合わせ農業が基幹産業で発展してきて、その中でもとりわけ開拓時代に赤毛が果たした役割に光を当てようということから、市と一軒の農家が試験場より種を取り寄せ栽培を開始したことが赤毛復活の発端のようですが、このことについては29歳ですでに町内で米作りをしていた私も知らなかった!!のです。
それからは市の教育委員会との間で、小学生の市の歴史や社会の勉強のための生きた教材として、あるいは年に一度の学校給食用として先述の農家の方が作り続けてきたのですが、復活後ずっとそのような用途のみで1,000㎡にも満たない面積で作られてきたようです。
でも小さな規模ですが継続するうちに少しずつ市内のいくつかの小学校や高校では学校田で赤毛を植えるようになったり、中山久蔵翁が運営していた史跡“旧島松駅逓所”裏でも赤毛の見本田が子ども達によって作られるようになりました。
そうした取り組みも最初の方が亡くなり次の農家の方に引き継がれて続いておりましたが、遅れること30年、復活3代目赤毛作付け者として2013年より私もその方より種を分けていただき、市の商工会との赤毛を素材として町興しにつなげようということから赤毛作りに参入することになったのです。
学校教育関連以外のことで新しく町の顔として赤毛ブランドを大きく育て上げようという取り組みの最も大事な生産の部分を担うことになり、お菓子に使う米粉やイベント向けなどに1、2年目は700㎡、3年目は1,000㎡、そして4,5年目はお酒「久蔵翁」の原料確保のため3,000㎡と大幅に増やしてきました。
今、二軒だけの生産で農商工連携(町興し)での生産は当ファームだけですので、この先お酒や赤毛関連食品(商品)の生産を増やそうとすれば当然作付け面積も増やさなければなりませんが、収穫、乾燥の手間が半端ない部分だけ、他の農家さんに声をかけても快く受けてくれませんし実際、この私も最初はそうでしたからあまり無理も言えないところがあります。
また、ことの本質上、他町村の方に依頼もできませんので本当に難しいところです。
しかし残念なことに種籾を分けていただいた農家の方は昨年5月お亡くなりになり、6年前に彼に商工会とのことを話し、理解をいただいた上で栽培のコツを教えてもらったことが懐かしく思い返されますが、伝承のタイミングが合わなかったら赤毛はどうなっていたでしょう。
それにつけても返す返す残念に思われるのは、私の父と同じくお酒「久蔵翁」を味わうことなく逝ってしまったことで、泉下の久蔵翁とはどんな話をしていることでしょう。
投稿者:taka-farm