コメッセージ334号 2024年3月号
「ゲエッ!!!!!、ありゃ~.......こりゃまたなんという雪だ.......」と2月25日の朝、寝起きにカーテンを開けて外を見るなり、なんとも言えずただただため息が漏れ出てきます。
よりによってこういう時に息子が不在で自宅周りの広い空間ときれいに除雪された国道までの100m以上はあろうかというアクセス私道の除雪は私がするほかないのです。
父さん大丈夫かい?と心配そうな家内に送られ外に出ると新たに20cm以上は積もっています。早朝に来た新聞配達の車の腹がつっかえて雪を押して走った跡がクッキリと残っています。
なんで2月も終わり頃になってこんなに降るんだと恨み節を垂れてもどうしようもありません。
作業場に停めてあるトラクターに乗り3、4年ぶりにエンジンをかけましたが、さてそのさきの操作が.....なにせレバーやスイッチがやたら多くてひとつひとつ、恐る恐る動かします。
息子が農作業で実にスムーズに使いこなしているのを遠目で眺めているばかりの私ですが、いざ自分がやるとなるととんでもない冷や汗もので、前部にはバケット、後部には排雪用のブロワーが装着されているため全長は7m以上にもなろうかという代物の運転、しかも単なる移動ではなく作業ですので機械の四方八方に注意を注がなくてはなりません。
とにかく必要最低限の通路確保だけの仕事を40分ほどで終え早々にトラクターを降り、日々やたらと複雑(そうに見える)な機械に付きあわなくてもいい自分に安堵.....これでいいんだか?
さて昨年2023(令和5年)年は前にも書いたように中山久蔵翁による寒地稲作成功150年ということで、それに関するイベントがいくつか行われましたがまさに除雪騒動のこの日、市内の芸術文化ホールでタイトル『久蔵と十郎 ~鍬を振るう侍~』という史実に基づいた創作劇(芝居)が公演され、私も家内ともども観てまいりました。
時は明治初期、久蔵と開拓使判官、松本十郎との交流を軸に入植民達の姿をからめ演じられます。舞台のセットらしきものはありませんし小道具もなく、着ている衣装はそれらしく見えないこともないような感じ......ほんとに役者さんの台詞と仕ぐさだけの演劇だったのですが、赤毛の現代生産者という私の一面を省いても徐々に徐々に、少しずつ引き込まれていきました。
当時は機械や農薬らしきものはなくほぼ人力(当然馬も使役していたでしょう)で田植えから草取り、稲刈り、はさかけ、脱穀、籾すり、運搬などやっていたはずですが、それでも厳しい開拓と農作業に気が向かったのは開墾した土地が自分のものになるということ、腹一杯お米の“めし”が食べられるという希望が持てたことにほかならないのではないでしょうか。
劇中で久蔵が稲作りの成功が開拓民に与えた希望と挫折に苦悶しつつあった時、妻のトサ、そして十郎からの援(たす)くる言葉を得て.......これからもず~っと百姓の性(さが)で生き、そして喜びの種をまき続けるんだ.......そんな前を向いた彼の氣概が伝わってきます。
ホールには大勢の観客が入っており、私の感覚ではほぼ8、9割埋まっていたように思います。 令和3年の「ディスカバー農山漁村の宝」受賞、一昨年の「北海道遺産」登録、そして一連の市での150周年記念事業.....これらを通して一人でも多くの北広島市民の心に、私とは比ぶべくもない北海道開拓の黎明期を築いた熱き大人物の大志が届けば本当に嬉しいですね。
投稿者:高嶋浩一