コメッセージ No.61(2001年6月号)
田植えの最盛期頃からちょっと咳が出始めた思っていたら終わったとたんの31日になって声がかすれ、鼻汁が出、痰がからむ、体がだるい(もっとも仕事の疲れも当然あるだろうが)といった症状が現れてきたのです。
今年は例年3月頃にひくはずのものが、その兆候もなく良かったと思っていたのだけれども、やっぱりかかるものはかかるのだと変に納得もするが、ただ時期はいかにも悪い。
田植えは終わったとはいえ、スイートコーン、かぼちゃ、じゃがいも、大豆などの畑の管理、そしてもちろん水田の管理作業がやってくる。
こだわりの米づくり、そして直売等にかかわる手間ひま、さらに車で20分かかる長沼に求めた田んぼの見回りだけでも時間を費やすことになるのです。
それとうちの看板であるアイガモ君達の世話が加わる。
実は先日5月の30日にすでに我が家へ大阪よりやって来ているのであるが、小さいうちはさほどでもないのだけれども田に放す程度に大きくなるにしたがい、あれこれいたずらをしたり、事件、事故を起こしたりして、その都度対応に追われることになる。
畜産農家には申し訳ないが、生き物を飼うたいへんさを改めて実感するはめになるのです。
結局は十分休養をとれないまま、うやむやとしながらもいつのまにか風邪が治っている....ということになってしまうだろうけど.....風邪は万病のもとと言われているので注意するにこしたことはありませんね。
ところで60号では息子のことを書いたのですが今回は上の娘のことから話題を進めてみたい。
先日、修学旅行で岩手県に行って来たようで、詳しくは聞いていないが宮沢賢治の羅須地人協会(農家子弟に農法などを教える私塾)を見てきたと言っていました。
普段ファッションのカタログ雑誌やら、マンガ本を見ていたりの姿や学校の友達、試験、バドミントンクラブのこと、最近行き始めた塾の様子などのことは母と娘の会話を小耳に挟むなどして少しは知っているが、今回の旅行が賢治の人となりを少しでも頭の中に入れてもらうきっかけになったとすれば、まずは良かったと思う。
かく言うほど私は賢治の作品をほとんど読んでいないが、中学の教科書だったか「けんじゅう公園林」?という童話っぽい小作品が教材として載っていたのを思い出した。
現在は早世した彼に対してとてつもなく大きな評価がなされているが、それを受けとどめる入り口であったはずの「けんじゅう公園林」を十分考えることなく私の中学時代は過ぎてしまい、賢治という作家は漱石などと比べてはるかに小さな存在として、頭の中にインプットされてしまったのである。
でも今は違って何か気になるところがあって、たまに本屋に行けば賢治の書架コーナーを探してみたりして....なにかあったとしても買うわけではないかもしれないが....手にとってみて遠い日の忘れてしまった何かに出会えれば....それでいいだけかもしれない....。 あぁ、そうそう、昨年1月だったか岩手で全国アイガモ水稲会の大会に参加したとき、帰りに若干時間があったので花巻の賢治記念館を訪れたっけ。
大きな大きな知性と空想(夢想)で作り上げた賢治の世界の一端に触れ、それが田畑を耕し、地に種を蒔き続けた人(彼)の微細な感性から生まれたものだったことにえらく感動したものです。
名物「わんこそば」を食べる時間を削っても?早めに行って賢治の余韻に浸るべきではあった.....。
わが娘には賢治像はどのように映っているのか。
塾のテキストをやりながらの私との会話の中で残念ながらそれは見いだせなかった。
話は変わって昨年の今頃(1日現在)は田植え体験交流会の準備やらで田植え後の一息もつくことができなかったが、今年は由仁町のファームふるさむで3日行われます。
受け入れ先の吉田さんはさぞ忙しい思いをしておられることだろうが、私も企画に携わった一人としてかけつけなければなりません。
吉田さんのところは遠くに夕張山系が見渡せる高台にあって、とっても眺めが良くて一度行ってみることをお勧めします。
なにより手入れの行き届いた庭と古い馬小屋を改造して造ったゲストハウスがとっても素敵で、本人やご家族の心配りがおわかりいただけるものと思います。
私のホームページからリンクしておりますので是非ごらんください。
秋には収穫したお米を参加者にお配りいたしますが、由仁町に星を見る会というのがあってみんなで秋の夜長を楽しみながらやろうよといった企画を立てております。
4月にあった実行委員会の時に地元の農家の方でアマチュア天文家の人がいらして望遠鏡を覗かしてくれたのですが、その時に初めて生の土星の輪をみることができて、いやぁー本当に自然の神秘、神々しいまでの輝きに見とれてしまいました。
札幌、北広島から山ひとつを越えた由仁は空気も澄んできれいで、星もよく見えるようです。
作物を慈しみ育てて収穫する、そして満天の星々の輝きを仰ぎ見て、人、地球、宇宙、大自然の営みの中に抱かれてみることもいいかもしれません。
小学、中学生の頃の仕事の手伝いで稲束を積んだ馬車に仰向けに寝そべり揺られながら満天の星とともに家路へ向かったことが、走馬燈のように思い出されてきます。
まだまだ田舎で、ここ北広島市が人口1万人にも満たない村だった頃の私の貴重な思い出です。
さて、それではアイガモ君達を水に入れる段取りでもしましょうか....。
投稿者:taka-farm