コメッセージ No.67(2001年12月号)
しかし齢も四十路半ばを過ぎた今日では、外に出るのに勇気?がいるようになってしまった。ドァの取っ手を恐る恐る触って、「ひっ!冷てーっ!」....外に出てぶるぶる、思わず肩をすぼめて前かがみになり小股で足早に歩いてしまう。
おまけに水たまりの氷に足をすくわれて危うくすってんころりん、転びそうになって「おっとっと」てな具合で足下もおぼつかない。で、車に乗り込んで3人の子供のアッシー君になるのであるが、今の子供達は恵まれているのか?いないのか?...。
長靴で間に合わないぐらい雪の積もった朝など、私の父は馬の背に鞍をつけ木の板で作った三角のラッセルを引かせて路をつけてくれたものでした。幅は1m50cmぐらいで距離は1kmぐらいでしょうか、シャンシャンと鈴の鳴る馬のあとをついていくのです。
昔は村の除雪も回りきらなかったのでしょう、猛吹雪になると3日ぐらい道が閉ざされることがありました。そんなときはそれこそ雪を”漕いで”学校に行って石炭だるまストーブにあたりながら濡れたズボンや手袋など乾かしたのです。最近集団下校になることはめったにありませんが、私が小中学生の頃は必ず1,2回はあったように思います。窓ガラスが真っ白になり外でゴーゴーと音がするのを聞いて、皆そわそわしてきます。それで集団下校が決まると「ワーっ!」って歓声が上がるのです。でもそれからがたいへん、吹雪でバスは来ないものの、母の編んでくれた毛糸の手袋は凍てつき、帽子の毛も顔のふっついているところは氷でガサガサになってしまいます。指の感覚はなくなりいつしか半べそをかきかき、どうにか家にたどり着くと石炭ストーブの上で母がスープ(たしかベーコンやタマネギ、キャベツ、いもなどが入っていたと思う)を暖めています。ストーブを背にして少しぬるめのお湯に両手をいれ、どうにか”かじかみ”がとれたあとズズーッズズーッと鼻水と涙とが少し混ざったスープをのどに流し込むと、お腹の中から体が温まってきます。
車もなくカラーテレビも冷蔵庫もなかったほどの暮らしだったけれど、心身ともにあったか~くなることの多かった日々ではなかったか...。昔のことを懐かしく思い出して語るようになったら歳をとった証拠なのかな~。
ところで先日、有機認証の講習会に参加してきました。今は有機栽培がJAS法によって完全に区分けされ、慣行栽培、及び低農薬栽培などとの違いが明確にされるようになりました。私も「アイガモ農法」、あるいは「特別栽培米低農薬」と表示しているため完全な有機栽培とまでいかなくとも、まず従来のガイドラインによるところの特別栽培での認証で始めようと思ったのですが、たまたま講習を受けた北海道有機認証協会ではその業務をやっていないとのことでした。アイガモ農法だけの部分で認証をうけることも可能なわけですが、圧倒的に多数の「特別栽培米低農薬」の部分ができないのであればなにか意味がないかなぁなんて思われます。
そして講習で感じたことは改めて「有機」の持つ重さです。有機栽培というのはなまじっか半端な気持ちではとてもできるものではありません。現在の私の経営では当然のことながら「生産行程管理者=農地、農機具、運搬、選別、出荷などあらゆる生産手段、作業などにおいて化学肥料の混入、農薬の汚染などがないようにチェックする人」は私になるのですが、そのチェックをして記録簿類に記載することに相当の労力を費やすことになると思われます。より大きな経営でそれなりの「人」が確保されていれば、あるいは小さくとも有機しかない経営であればまだなんとかなるかもしれないが.....現状ではあれもこれもで結局、中途半端になってしまう恐れがありそうです。
今やっていることがいいかげんだからでないのかと言われそうですが、何とか一人で、そして家族でぎりぎりにまわってどうにかこなしているというのが現実の姿といっていいでしょう。でも有機であれ低農薬であれ認証は避けて通れないものと思っていますから、早くその体制づくりをしていかなくては.....来年は「馬」、私の干支.....飛翔する「天馬」となるかそれとも「落馬」して痛い思いをするか...... 人間、万事塞翁が「馬」....で頑張るしかないか。
投稿者:taka-farm