コメッセージ No.71
長女の卒業式に妻とふたりで出席したときのことなのですが、子供たちの声に合わせてしおりの歌詞を見ながらとても懐かしく歌うことができたのです。しかし周りの父母からの声は全くと言っていいほど聞こえてこない....?。はて?....あぁそうか....この人たちにとってここ東部中は母校ではないんだ。
北広島市は今では人口59,000人、あちこちで団地造成が進んでいわゆる新住民の方々がほとんどになっているのです。
私の卒業した昭和44年当時は人口8,000人の村(むら)から町(ちょう)になりたての町だったのですが、それこそあれはどこそこの何々だとお互い顔見知りで、当然親も学校の校歌ぐらいは良く知っていたものです。
そうこうして歌っていてふと思ったことは、50歳目前のおじさんが在校生とともに自分の母校の校歌を歌える幸せというか、自分の生まれ育った地で生活している幸せとでもいうか....。
少しずつ変わってゆく郷土を見つめながら、時にその変わり目に青年組織などの一員として自分が係わり町興しイベントにいくばかりかの参画をしてきたことや、日々地域に根ざして生産、営業を続けてこられたこと.....これらはまさに幸せ以外のなにものでもないのではないだろうかと。
そしてそうした中で自分の子供たちを育てて行けるということは本当にありがたいし、すばらしいことではないだろうかと。 ところで前述のように街は大きく変貌をとげ昔の面影はなくなっているもののやはり大切にしたいもの、残して行きたいものはあります。
それは街を取り囲むようにしてある農地や山林、川などの緑を育む空間でありまた開拓時代より綿々と培ってきた農家や古くからの市民の郷土への愛、誇り、思いなどです。
このうち山や川は近年自然保護などの流れを受けて、確かに十分とは言えないまでも保全がはかられつつあるように思います。
しかし田や畑はどうかというとこれがたいへんなことになっているのです。それこそ「太古の原野」を切り拓いて先人が築きあげてきた 農地は超高齢化(市内の農業経営者の平均年齢はすでに65歳以上)と後継者がほとんどいない情況のなかで着実に荒廃が進んでいるのです。
確かに緑には違いないのだが、食料の生産力のある土地から草茫々、原野同然の野地(やち)へと変わっているところがあちこちに散見されるようになってきています。
豊か?になったはずの日本だけれども開拓者たちの汗の結晶はその対極で人々の置き忘れてきた心とともに少しづつ崩壊してきているのです。 もちろん市の農政やJA(農協)などそれなりの対策を講じてコントラクター(耕作請負)などの組織を作る動きや、集落で農業生産法人を立ち上げ生産基盤の集約をしていこうという考えもあるにはあるのですが、具体化には問題が多く、時代の大きな流れのなかでなかなか妙案もないまま後手を踏んでいると言っていい状態となっています。
私も中堅どころとして頑張ってはいますが、今年のお米の作付けは20ha(20ヘクタールは100m四方の土地が20個の広さ)の予定で、とても他の農家の離農跡地 を借りたり買ってまで耕作する余力はありません。
おなかを満たすための「食」には不自由をしていない皆さんには想像が及ばないかもしれませんが、少しずつ着実に農村の生産力は落ちており人的資源は十分な補充のできないまま減少しつづけているのです。
ちなみに中学の校歌は~大地の稔り豊かなれ 広島の郷ぞ 我が郷土....と続きます。
周りの農地の移り変わりの様子に嘆息しつつも、私は3月に有限会社を設立したことだし前を向いて行くしかありません。
.....さぁ!稲の種まき、畑起こしでもやりましょうか......。
とここで一句
うずうずと 農民(たみ)のこころに 春の虫
さて話は変わって同じ緑でも人工芝の話。先月30日、子供たちと初めて札幌ドームにパ・リーグ公式戦、西武対ロッテの試合を観に行って来たのですが、車で30分ぐらいのところにあるのに今まで行ったことがなかったのです。 ....おお~っ、でかい!、広い!....しかも外にはまだいくらか残雪があるのに野球とは。いったいどれだけの入場者か?たぶん3万人以上?...あぁこれだけたくさんの人に本当の「緑」の姿を知ってもらえたら....と頭のすみっこにかすめつつ?松坂の投球に一喜一憂。
とても楽しいひとときで夢を見させてくれるところには、ぜひまた行ってみたいですね。
投稿者:taka-farm