コメッセージ254号 2017年7月号
「久蔵翁(きゅうぞうおう)」なる四合瓶の日本酒を前にして、あぁ...とうとうここまで来た
かとある種の感慨を持って、おもむろに栓をひねり小さなグラスに注ぎました。
少しだけ口に含んで甘さ辛さを味わいつつのどに流し込みます。
利き酒士(日本酒やワインのソムリエ)ではないのでどう表現したら良いものか、適当な言葉が出
て来ませんが、お酒オンチの私でも小樽の田中酒造に造ってもらったこの酒は結構いけるぞとい
う風に思われるような、そんな出来栄えに少々驚いた次第ではあります。
実は久蔵翁という北広島産の地酒、これの原料である「赤毛」というお米を作ったのはうちの
農場なのです。
赤毛は北海道のお米の品種登録番号が1番で現在の「ゆめぴりか」や「ななつぼし」の先祖にあ
たるお米になり、5年前より赤毛種保存会に入るとともにわずか400㎡ほどの面積を作り2俵
ほどの収穫を得たのが始まりでした。
北広島の地名はその名の通り広島県からの移住、開拓者が入植して村が作られたことに由来しま
すが、それを遡ること11年まだまだ未開の明治6年に北広島の島松沢において大阪は河内出身
の中山久蔵翁が道南以北で初めて赤毛による稲作に成功し、それがきっかけで旭川付近まで水田
が作られるようになり近年は新潟県と並んで日本一の米どころにまでなりました。
今は島松沢の地に寒地稲作発祥の碑が建っていますが、北海道の米作りの端くれとして自分の町
にこのような偉業を成し遂げた偉人がいたことに同郷として誇りに思うところでもあります。
赤毛種の保存はすでに品種としては生産されていなかった赤毛を通じて、子ども達に郷土の歴
史や産業を教えようという市の教育委員会の要望によって30年?以上前より道の農業試験場か
ら取り寄せた種籾を使い、依頼を受けた故人の篤農家S氏が復活させたのが始まりで現在、私
も含めて二名の生産者会員で保存会を運営しています。
保存会代表のM氏はもっぱら教育委員会関連で学校田の指導や給食のための生産をしており、
私は市の商工会関連でイベントのお弁当向け食材、赤毛のコメ粉を使ったお菓子向け用などの生
産をしておりましたが、昨年お酒を造ろうという話になり最低でも800kgぐらい必要というこ
とになりました。
単純に800kgというと14俵弱、反(たん、1000㎡)あたり5俵の生産で若干の余裕をみて3
反は作らなければならない勘定ですが、一昨年まで1反しか作っていなかったのをいきなり3
倍に増やさなければなりません。
地干しのためのビニールハウスの段取りやコンバイン収穫後少しずつグレインタンクから人力
による取り出し、天日乾燥、籾すり.....手間を考えると簡単な話ではありません。
冒頭に書いたようにお酒ができるなんて5年前の作付け開始の時は思いもよりませんでした
が、久蔵翁の偉業をなんとか市民や道民に知らしめ後世に伝えようという商工会役員のH氏の
熱い情熱に触れているうち、なまじっか生産現場やら農業試験場を始めとする役所への対応の難
しさを知っていたがため気後れ気味だった私も、いつしか彼の思いの実現に協力しようという気
持ちになっていきました。
このお酒が出来上がるまでにはいくつもの困難なことがありましたが、言わば一人の途方もない
夢想家に巡り会ったことで私の米作りの人生に大きな実りが加わったのです。
投稿者:taka-farm