コメッセージ 161号 2009年 10月号
お坊さんの読経が母屋の床の間(仏間)に流れ父母、私の家族、そして集まった 親戚の叔父、叔母達が順々に焼香していきます。
先月、私の祖母の五十回忌の際に久しぶりに父方の兄弟、姉妹が揃って法事をとり行ったのです。
祖母は56歳で若くして亡くなったのですが、その子供達は生後まもなく亡くなった二人を除いて成人となった5人はそれぞれ健在で、祖母の短かった命の分だけ逆に命をいただいているのかもしれません。
しかし、さすがにそれぞれ80歳前後ともなると腰が曲がったり、杖をたよりに歩くのもたいへんといった格好になっています。
小さいころより家の手伝い(農作業)....というよりも立派な労働力として仕事をさせられ、戦後の復興期から高度成長期、とにかく昭和という時代を働きづめに働いてきたのです。
そのひとつひとつが顔のしわや体の節々に現れていると言えるでしょう。
私には祖母の記憶はほとんどないのですが、心臓の病気で当時の札幌市立病院に長く入院し治療したけれども結局回復することなく私が6歳の時に亡くなりました。
現在の医療技術をもってすれば恐らく治癒したものと思うのですが家を守り、子供を育て、農作業に明け暮れながら短命に終わった祖母の人生に哀切の情を感じざるを得ません。
母の言によるとそうした祖母の大きな救いに幼いわたしの存在があったようです。
昔、農家にとって跡取りというのはずいぶんと重みがあって初孫でしかも跡取りというダブルの価値で私のことを可愛がったと思われます。
少し可愛さが過ぎて下の妹、弟に隠してこそっと私だけにおやつをくれたりということも度々あったとか....母にはわがままな性格に育たないかと心配の種だったらしいです。
ところで今年100歳以上の長寿者が4万人を超えたとか、敬老の日の特集番組では必ずこのことが話題になりました。
これはなんたって医療の発達の恩恵でしょうが、父母も立て続けに最近大きな手術を受けたにもかかわらず元氣に回復して以前となに変わらぬ暮らしをしています。
しかし元氣なお年寄りの多い反面、認知症や寝たきりで介護を受けている方々も相当数にのぼりますが、これら増え続けるであろう負担を誰がどのようにしていくのか?
今回の政権交代に高齢者の厳しい裁定が大きく影響したことは間違いなく、新政権がうまく対処できなければ即、次の再交代?につながるでしょう。
私の小さい頃は親戚づきあい、そして近所づきあいもけっこう頻繁にあったため祖父の兄弟やそして叔父、叔母達とも会う機会が多かったし、しょっちゅう隣り近所の農家のおじさん、おばさん達が尋ねてきてはいろんな話をしているのをそばにいて聞いていたものです。
学校から帰ってくると祖父とその飲み仲間が昼間から酒盛りをやっているなんていうのは日常茶飯事で、そういう飲んべえの相手をして酒を注ぐこともありました。
こうしたことは子供心にも知らず知らずのうちに社会のしくみを理解したり、人との交わりのあり方などの良い実地勉強の場となったと思っています。
今の高齢者はそこそこお金もあって、趣味に旅行に、パークゴルフとけっこう楽しくやっているようにも見えるのですが、若年者、子供たちとの交わりは少ないですよね。
高齢者の持っている知恵と長い激動の年月を生き抜いてきたパワーをこれからの世代に伝授しなければ.....もったいないです。
祖母の遺影に手を合わせ、その子供達全員が集うことができたことに感謝...........ばあちゃん、ありがとう。
投稿者:taka-farm