コメッセージ237号 2016年2月号
何ともならない気持ちの落ちようで頭の中がまとまりません.............。
実は先月1月22日のお昼、母スミ子が満84歳をもって亡くなってしまったのです。
10年ほど前に患った肺がんが手術の経過も良好で完治したものと思っていたのが、昨夏
再発して徐々に呼吸機能が衰えてこの年末、年始にかけて急激に体力が落ちてしまいま
した。
年明け早々の入院でしたが手術や薬による延命治療は高齢のため本人に大きな負担を強
いることにもなりますし、このまま見守っていきましょう.....お医者さんの話を聞き
私たち家族も一様に納得してあとは母の体力次第ということになりました。
結果食べることもままならなくなり点滴による栄養補給の中で2週間ほど頑張ってくれ
たものの、ついに返らぬ人となってしまったのです。
母は11人!兄弟姉妹の4番目、まずまずの農家に生まれたとはいえ、小さいときは小
学校高等科に通いつつ下の弟、妹の子守、長じてからは農作業で父母の手伝いと以前NHK
のテレビドラマでやっていた「おしん」を想起させるような少女、青年時代を送ったよ
うです。
そして昔のことゆえ、父方の曾祖父の持ってきた見合い話で私の父と結婚したのが22歳、
当時の高嶋家も大舅、舅、姑、小舅、小姑の宝庫で夫、本人も入れて8人の大家族。
直に私や、妹、弟も生まれ当時の母がどれほど苦労したことか想像に難くありません。
当時の人々は農家が大半で母以上の厳しさに耐えた方もいたでしょうが、いずれにして
も現在とは比べようもない日々であったと思います。
時は母の結婚後60有余年の現在、安倍首相は1億総活躍社会をぶち上げ、特に眠って
いる女性労働力の発動によって経済成長させることを基本政策の一つとしていますが、
亡き母にとっては何をいまさらと思ったに違いありません。
青年時代、嫁、母親、姑と置かれた状況がどれほど変わろうと農作業、家事、育児、そ
して介護と切れ目なく不断に働き続け当ファームの屋台骨を支えてきただけに彼の世に
おいてやっと安息の日々を過ごしているやにも思われます。
戦後間もない頃と現在では社会制度も価値観も違いますが家事、出産育児、教育、介護、
年金などの分野を削りつつ女性に働いて生産を上げよというのは実質賃金が下がり続け
るなかでいくら笛を吹いてムチを振っても笛吹けど踊らずの結果になるでしょう。
今、母の孫(6代目後継者)はアパートで彼女と二人だけの新生活を始めています。
そんな孫の成長ぶりに「今の時代だからねぇ....」と目を細めて納得していた母。
4年にわたる祖父の介護から解放され、その後の次男の早世を乗り越えてから国内外の
旅行、好きな花、庭の手入れ等、自分の時間を楽しめるようになった母。
そんな母の最後の気がかりは認知症の父を置いて旅立って行かなければならなかったこ
となのかも知れません。
投稿者:taka-farm