コメッセージ332号 2024年1月号
謹賀新年 本年もタカシマファームの田園交響楽を宜しくお願い致します。
『古希』、こき.....ああ~とうとう令和6年、2024年をもって満年齢で70歳の仲間入りです。
昔、中国の有名な詩人、杜甫がその詩の中で「人生70古来希なり」と言ったことが由来ですが、私もどうにかその人生の一領域にさしかかって、はてさてどんな生き方だったか、10代、20代......60代となんだかんだと思い返されます。
もちろん70年の間には人生の浮き沈みというものを実体験として数多く味わってきたように思い出されますが、自分ではそう思っていてもそんなことはその人その人のとらえ方、見方でどうにでも評価されるものでしょう。
100人いれば100の人生、万人いれば万人のそれぞれの成功、失敗がありそしてその軽重があり、
喜怒哀楽の大きさも千差万別ですから、やっぱり最後は....自分という者を未だよく分からん者が言うのも何ですが....自分らしく生きられたかどうかということなんでしょう。
私の場合どちらかというと体はあまり頑丈な方ではなく過去にいろんな病気で何回も手術を受けていますし、おまけに事故などによるケガで幾度となく入院、通院もしました。
その上学生時代から20代前半にかけて度々腰痛を患いほぼ半年、全く農作業ができなかったこともあり車の運転、階段の上り下りすらおぼつかない状態になったことが思い返されます。
そして昨今では冷夏なんて死語みたいに猛暑の夏が続きますが、1980年代には冷害や水害による相次ぐ不作、凶作に見舞われ離農寸前に追い込まれたこともありました。
今思い返してもよ~く70歳まで辿りつけたもんだと変に自分に感心もするところですが、つくづく自分は大変な目にも遭っているが逆に幸運にも恵まれたのかなとも思うのです。
まずは両親に恵まれ学校や地域の友人達に恵まれ、そして極めつけは家内を筆頭に家族にも恵まれたこと、それからどん底の経営状態のときにたまたま偶然にその赤字の補填になるような農地の買収があったり、家の前の5~6m巾しかなかった砂利道が片側2車線の幹線国道に整備されたり.....そして今、さほど遠くない所に日ハムのエスコンフィールドがオープンし私が米作りに身を置いて48年の間に置かれている環境はとんでもなく変わってしまいました。
猫の目農政とはよく言ったもので転作に始まった水田政策の紆余曲折は半世紀を経過した今をもってしても変わらず、大方の農家も農政風の吹くまま流され気がつけば十分な後継者も育たず高齢化、人口減も相まって多くの地域は崩壊の瀬戸際に立たされるようになってきました。
ことここに至って最近「食料安保」なる言葉が政治家、行政、マスコミなどにずいぶんと取り上げられ国際情勢が不安定で国力が落ち目の中、非常時に日本国民に十分な食べ物をどう供給するかということが議論され農業見直しの機運がやや高まってきた感もあります.......が....。
うちの農地は水はけの悪い重粘土の土地で農作物でまともにできるのは”米”だけという限られた条件もあって、前述の農政風に流されず米だけに生きる道を選ばざるを得ませんでした。 それで美味しくて安心して食べられるものを作るということに専心特化し、ほぼ35年ほどかけ現在の生産、販売方式を作り上げてきたのですが、その道を選んだことが私にとっては70年で最大の幸運だったのかもしれません。
投稿者:高嶋浩一